第二次世界大戦以降、音楽の療法的機能がことのほか注目され、音楽療法の専門家の養成と職場の確立が、着実に先進国社会に浸透してきたが、いわゆる先進国を自称する日本では、音楽療法の専門家を養成する教育機関もなく、当然のことながらも、専門職としての音楽療法士を受けいれる安定した職場の確立も用意されていません。
そこで今回は、日本の音楽療法の障壁と未来について考察します。
日本の音楽療法の発展の障壁とは?|音楽療法後進国日本の原因と未来

音楽療法に関する限り、先進国のなかの後進国として、世界の七不思議の一つではないか、とさえささやかれてきました。
それにはまた、そうなるべき背景があって、それらのマイナス因子が足をひっぱり、障壁を築いて、音楽療法の着床をさまたげてきた、という分析も可能であり、その障害物の除去に努力することが、日本における音楽療法の発展の糸口をなすといえるのではないかと思われます。
療法的音楽行動の成立をめぐる生態史的認識を究明浸透させる
日本の音楽教育は、明治開国とともに、西欧風の歌曲を歌いこなすことに集中し、楽譜に対して忠実に歌えるかをテストされ、歌えないなら「音痴」という、日本特有の敗者の刻印を与え、生き残った者には、どちらが上手かという競争の場に誘導し,そのコンクールに優勝した少数のエリートを除く多数に、フラストレイションをかみしめさせてきました。
そのうえ、プロになれば、日本の芸能界特有の「しごき」訓練に迎えられ、型の如き楽典と、型の如きクラシック伝統の音楽史の学習に終始し、その反映が一般音楽教育に波及します。
生きる生活からにじみでる音楽療この貧困なライバリズムの荒野を耕しなおして、豊かなヒューマニズムの沃野をまず育くまなければならないでしょう。
音楽療法の基盤は「音楽ヒューマニズム」の自覚にあります。
古今東西を問わず、心に安らぎを与え、救済感を提供する宗教は、いずれも、音楽をパートナーとしてきました。
また、日本の民謡のほとんどが、労苦を和らげる作業唄であり、労働ストレスの緩和剤であるといわれるが、この傾向は世界の諸民族に通じ、ことに環境条件の悪い例えばエジプトなどでは、作業中にたえず歌が口ずさまれ、インドでは朝から深夜にかけ延々と続く演奏曲が生れています。
また、理論的には呪術観によっていたにせよ、未開時代から、治療には祭司による宗教療法がほどこされ、そのメディアとして音楽が広く用いられてきました。
この事実は、宗教療法が音楽療法であることを物語っており、旧約聖書のなかにも音楽の治療効果が記録されています。
つまり、音楽行動の起源を生態学的にたどって行くと、音楽が療法的行動として浮びあがってきます。
日本では、この生態史的事実を理解している音楽家を探すことはむずかしいです。
生活のなかに自然発生する音楽行動から掘りだされる音楽史教育の欠落が、音楽療法への理解と受け入れを困難にさせているファクターの一つといえるのではないでしょうか。
西欧の療法的音楽観を日本人の大脳に植えつけるとともに、音楽療法の確実なデータの積重ねと緻密な理論の確立を推進する
音楽が心理療法的機能を充分に発揮するには、そのクライエントが音楽好きであること、なかでも、その治療に効果的と推論される機能音楽群のなかに、クライエントが心良く受けいれる嗜好にあった曲を発見できることが大切であるが、更に加えて、音楽療法についての理解や共感があり、時には信念とでも呼びたい姿勢がクライエントの側にあるならば、その効果は最高に達するでしょう。
ちょうど、日本人が温泉療法を愛好し、万能の治療法として受けいれるようにします。
ヨーロッパでの医科学の芽生えは古代ギリシャにあり、医学者であると共に芸術学者であったアリストテレスによって、生命の機能であって治療の原理でもあるカタルシス療法が、精神の世界にも通用することが説かれ、その役割として、ドラマ、音楽、舞踊がとりあげられ、究極的な健康が心身のカタルシス操作によるバランス化にあることが説かれており、ヨーロッパでの療法的音楽観は、この源泉をくみながら、長期にわたりキリスト教によって支えられて、今日を迎えています。
この療法的音楽観は、20世紀になってフロイトの精神分析論と、セリエのストレス理論の出現によって、より近代的な復興をとげました。
西欧文化にただよう療法的機能主義の音楽観を、日本の西欧音楽文化輸入業者たちが不幸にして感じとれなかったです。
たまたま明治開国時には、天才志向主義、コンサートホール主義、反動的な「芸術のための芸術」主義の興隆した時でもありました。
ただしかし、義務教育のレベルでは、音楽療法の変形としての「人間形成」主義が教育思想として導入されたが、これは道徳教義を唱える学校唱歌となり、やがては軍国至上主義の潮流に巻きこまれる結末となりはてました。
ここで一番、改めて、ヨーロッパ文化の底流にある療法的音楽観への開眼をうながし、日本に療法的音楽観の理論と文化を定着させながら、世界の進歩に歩調を合せて、音楽療法の科学化を推進させる急務を痛感せざるをえないでしょう。
それには、音楽療法の専門家の育成が急務であるとともに、医学者と心理学者が音楽家と協力する体制の確立が必要でしょう。
重要でありながらも未開拓の高齢期と末期への音楽療法
音楽療法を本格的にとり上げたのは、アメリカの退役軍人病院で第二次戦闘殺人という超人間的ショック体験の痕跡は、慢性的にたえず内部にうずくストレスとなり、世界大戦時に生れた傷病兵の対策としてでした。
ストレス性の障害から、不眠、うつ病、精神分裂など心因性の疾患を慢性的に多発させ、また軍隊という高度の拘束生活から生れる無気力的ニヒリズム、デカダンス、反社会性への対策から、爆弾による頭部障害四肢障害への対応に迫られた結果、精神療法の重要性が改めて痛感され、古くからキリスト教によって支えられてきた音楽療法が、現代医療の作戦として浮び上ったわけであるが、戦後社会でも、同類の問題が多発し、高度産業システムの拘束性、人間関係の複雑化、ファミリーストレスの重症化、薬物多用からくる心身障害児の多発、自閉児や青少年の反社会行動など、音楽療法に期待される問題が限りなく広がる状況を迎えています。
しかし、なかでも一番普遍的で、いずれは多数の人が通過しなければならない、老齢期と末期への音楽療法の取組は、意外に遅れがちでありました。
高齢化現象がしのび足で姿を現わしたことにもよるのであろうが、老人病と死は、ほとんどの人が遭遇しなければならない、最広域にわたる人間の悲劇的宿命であることを、今さらながら噛みしめなければならないのであります。
末期ガンの激痛に対して、単独に用いられた音楽が果たす緩和効果には限界があるであろうが、鎮痛剤に併用された場合の、心の安らぎとしての心理的効果は充分に期待されてよいでありましょう。
音楽などの心良い刺激の併用によって、痛覚インパクトを軽減したり、不安を緩和する現象は、古代エジプトの医書に、音楽が鎮痛剤として処方されている古い記録にもみられ、長い歴史をもっているわけだが、今日、歯科治療や外科手術にBGMを使って麻酔効果の推進を計る試みが散見されるし、また音楽は記憶効果があり、ポケ対策としてもとりあげられています。
しかも、なによりも重視すべきは、音楽が老人の孤独感を緩和し、他者に対するコミュニケーションを誘発する力をもっていることでります。
また、宗教音楽や慈愛と高度の精神性をもった音楽への感動は、人生の終末という深刻なフラストレイションによる不安や苦悩やうつ状態を緩和して、人生の終末を明るくする特効薬としての力を発揮する可能性を含んでいます。
また、音楽のリズム性やゆらぎの均衡性が自律神経を調整して、身体運動を柔軟にする可能性もあります。
これらの重要な課題が老人のための音楽療法に期待をかけているのです。
高齢者へのアプローチが、日本の音楽療法の発展に寄与する

いかがだったでしょうか。
日本はまだ音楽療法が未発達であるため、音楽療法を求めている方は多くいるかも知れません。
他の記事でも音楽療法について説明していますので、ぜひ音楽療法の知識を深めて1人でも多くの人の生活が豊かになると幸甚です!
最後までご覧いただきありがとうございます。