音楽療法の歴史について、歴史の中に現れるいくつかの音楽療法の重要な概念を、時代を追いながら記述してみたいと思います。
その理由は、現在私達が用いている様々な音楽療法の技法が、実は歴史の中で1つ1つ積み上げられてきた過去からの遺産であることを知ることが、音楽療法理解にとても有意義だからです。
【超初心者向け】きたない音楽の系譜とは?│音楽療法の歴史を紐解く

音楽の起源は、きれいな音楽ときたない音楽の2つの異なる音楽の流れで始まったと考えると、その後の音楽の発展史がとてもよく理解できるような気がします。
この2つの音楽は、それぞれ別々な状況から発生しました。
まず、きれいな音楽ときたない音楽のどちらが先に生まれたのかは明らかではありません。
でも音楽が最初に出現したとき、2つの異なる事態があったことは充分想像できます。
今回は、そのうちの”きたない音楽”の系譜をご紹介します。
きたない音楽の系譜
多くの音楽学者たちは、音楽の起源は、古代におけるメディシンマンと呼ばれる呪術師の行為に始まったのだと語っています。
モーザー(Hans Joachim Moser) の音楽美学を開いてみますと、有史以前の音楽美学史が、「魔法と治療としての音楽」という見出しで書かれています。
その部分を見ますと、次のような解説が書かれています。
少し長いですが引用してみましょう。
「その音楽観とは悪霊を追い払うための魔術としての音、すなわち“魔法としての音楽”であった。シャーマン教巫術者、祭司、魔法使い、医術者は歌手という職が成立する以前の長い間、音楽を管理する音楽術者であった。もちろん、その場合の音楽は今日われわれが考えるようなものでなく、まずさし当たって奇妙なせん音、ラッセル音、唸り音といった騒音からなるもので、それは今日も、がらがら、鈴など玩具楽器に聞く音である。」
というものです。
古代の治療者は、病気を悪霊が人に乗り移るためと考えていました。
先祖の霊や死者の霊が人にとりついて、その人を苦しめるという考えが広く信じいられていたのです。
ですから病気を治すには、その霊を人から追い出すことが必要でした。
悪霊を追い出すために、メディシンマンは色々な音を工夫し、悪霊が早々に退散したくなるような、恐ろしくて身震いするようなおどろおどろしい音を作り出したと思われます。
それは取り付かれた本人より取り付いた悪霊を追い払う目的の音楽だったのです。
きたない音楽の普及
このような恐ろしく、広い意味でのきたない音楽を作り出した原動力は、先ほどのきれいな音楽より恐らくずっと後、社会が生まれ、祭り事が始まり、人々の間に上下の階層が出てきた時代だったと考えられます。
そのようなときになって、音楽と呪術を扱う呪術師が出現したのです。
しかしこのきたない系譜の音楽は今日まで綿々と伝わり、地球上の様々な地域で、現代の呪術師達によって広く行われているばかりでなく、私達の音楽文化をこの上なく面白くするのに一役買っているのです。
前者の例としては、アジアの国々に今も行われる伝統的な土俗的治療の中で、シャーマンに
よって実際に使われる音楽があります。
とても面白いと思われるのは、古代人が悪霊を脅かそうとして考え出したその恐ろしい激しい騒音的な音楽が、シャーマンの身振りも含めて、参集者にとって、またとない娯楽的文化を作り出していたことです。
きたない音楽の現代音楽への影響
そしてこのきたない音楽の系譜はクラシック音楽の中にも入り込み、優美さとは違う、スリリングでわくわくし、人間に興奮と感動を呼ぶもう1つの音楽の魅力を生み出してきたのは、歴史の不思議というより他ありません。
きたない音楽ときれいな音楽の音楽療法のつながり
きれいな音楽と以上述べたきたない音楽の系譜は、よく考えてみますと、音楽療法の根っこの部分につながっています。
危険が去り、楽しい幸せな気分の中で奏される音楽は、しぜん、人の気持ちを和らげる作用を獲得していったと思われますし、また逆に、始めから治療そのものであったきたない音楽は、悪霊を驚かしたと同じ理由が患者を驚かし、そのことが逸脱した魂にある種の心のゆとりをもたらし、魂の活動を正規の軌道に修正するという、現代の精神療法の本質にも通ずる役割を果たしていたのです。
この「美」と「醜」に通じる2つの対比概念は、後年、ニーチェが「アポロン的」と「ディオニュソス的」と名付けて、芸術にはなくてはならない対比概念として再登場させたことは、あまりにも有名です。
歴史を知ることで音楽療法の理解が深まる

いかがだったでしょうか。
今回紹介したきたない音楽の対となるきれいな音楽の系譜については、別記事にて紹介しています。
もし、ご興味ございましたら確認してみてください!
最後までご覧いただきありがとうございます。