音楽と人間の情感の間には、長い歴史と深い関係があります。
こういった点を理解しておくと、音楽療法の実際の現場でも役立ちます。
今回は、音楽の人間の情感の関係について解説します。
音楽と人間の情感を理解する

人間が音楽を持ったのは、想像も出来ないほどの昔でした。
しかも最初の頃は獣や鳥と同じように、声による音楽しか持たなかったです。
楽器が作られたのはその後でしょう。
声は情感の表現に一番適しており、歌はいつの時代に於ても、最も身近な音楽であり続けました。
初めに歌ありき
「初めに言葉ありき」というヨハネ福音書にならうなら、正しく「初めに歌ありき」なのです。
人間の声は、日常の言葉を語るばかりではなく、音の高低を作り出すことも出来ます。
だがそれは日常的ではないので、普段歌を唱う習慣の無い人にそれを要求すると、多くの人は声の出し方に戸惑ってしまいます。
それは声が、普段使うことのない機能を要求されたからであります。
しかし人間は誰でもこの機能を持っています。
神が人間の体を、歌が唱えるように作ったことは、すばらしいことではないでしょうか。
声が旋律と共に言葉と結びつくと歌が生まれます。 歌は人間の声でしか作れません。
人間は多くの楽器を発明し、それを高度に発達させたが、いかにヴァイオリンの名手といえども言葉と結びついた歌を唱うことは出来ません。
メンデルスゾーンに《無言歌》という一連のピアノ曲があるが、これは声楽と器楽の境界で居直って見せたタイトルでしょう。
歌は言葉と不即不離です。
中にはヴォーカリーズのような言葉を拒否したものもあるが、例外に過ぎません。
歌の旋律は言葉のイントネーションと密接に関わっています。
それを無視すれば聴き手は不自然に感じます。
また発声法も大切です。
ベルカントの唱法で日本民謡や演歌を唱うと場違いな感じがするのは、日本語の言語感覚にそぐわないからです。
言葉を超える音楽の表現力
それならば歌は常に言葉によって支配されるのでしょうか。
一概にそう歌から音楽を取りいい切れないところが音楽の持つ不思議な力です。
除くと、もはや歌としては自立できないが、歌から歌詞を除いても、音楽は自立できます。
器楽のある種のものは、そのようにして生まれたと考えられるのです。
言葉から解き放たれた音楽は、人間の声にもはや拘泥することなく、人間の声では出すことの出来ない音高、音色、ダイナミズムへと向います。
そして人々は表現の拡大を求めて様々な楽器を作り出して行ったのであります。
いうまでもなく器楽は、そのようなものばかりではありません。
太鼓などの打楽器の音楽は、合図から始まったと考えられ、元々歌とは無縁のものであります。
しかし管楽器や弦楽器が中心の器楽は、歌の伴奏から次第に離れて独立したものとなって行います。
そしてそれらが言葉を超えた表現力を持つことに人々は気づくのです。
現代のわれわれがクラシック音楽として聴いている音楽は、キリスト教の教会音楽に起源の一つを持っています。
教会音楽に対する世俗音楽は勿論あったが、近代以前においては、教会音楽と世俗音楽との境界は曖昧でありました。
人々は教会を、信仰の場であると同時に音楽を楽しむところと考えていたのであります。
教会音楽は、いうまでもなく合唱曲が中心だが、それらを供養するために器楽が発達し、やがて器楽それ自体が教会音楽の重要な位置を占めるようになります。
その一例として16世紀ヴェネツィアの教会音楽が上げられます。
ヴェネツィアは当時、ヨーロッパの最も先端的な都市の一つだったのです。
私は過日、ここのサン・マルコ大聖堂で、ジョヴァンニ・ガブリエリ(1557-1612)の金管合奏曲を聴いたが、ビザンチン風の堂内に響き渡る壮大な管楽器の調べに耳を傾けながら、400年前にこれを初めて聴いた人々の驚きに思いを駆せないではいられなかったです。
器楽の合奏曲はやがて教会ばかりではなく宮廷、貴族及び富裕な市民の館の音楽となります。
時には都市の広場で演奏されることもありました。
さらにフィレンツェでは再び歌と結びついてオペラが誕生します。
その一方で世俗音楽を代表する舞踊曲と結びついてバロックのコンチェルトや組曲が生まれ、それは18世紀後半になるとシンフォニーを生むのです。
このようにヨーロッパの音楽の歴史をたどってみると、その中心はあくまで教会という公共の場であり、当然のことながら合唱と合奏が中核となっています。
勿論少人数で、あるいは一人で楽しむ音楽も存在したが、音楽の主流になることはなかったです。
それが重要な存在となるのは17世紀以降のことであります。
日本人の音感覚
現代のわが国においては、音楽といえばドレミファソラシドに基くものが殆どです。
それ以外の日本古来の音楽は、邦楽という特別の呼称によって扱われます。
現代の若者にとって邦楽は、別の民族の音楽のように馴染みがうすいものといっても過言ではないです。
しかしわれわれ日本人の持つ音感覚は、そう簡単に変るものではありません。
なぜならその民族の音感覚というものは、言語感覚と深く結びついているからです。
ドレミファソラシドの音楽が日本に入って来て130年になります。
この年月は決して短いものではありません。
現在20歳の若者は、すでに5世代を経た位置にいるわけで、日本人の血肉に、ドレミファソラシドの音感覚が、ないことを否定することは出来ません。
今すでに西洋の人々と同様に存在しているといって間違いないです。
若者たちも、子供の頃に耳にし、口ずさんだ唱歌や童謡に郷愁を感じるでしょう。
また、演歌の中に日本人特有の情感があることも、好悪は別と明治以来唱われて来た小学唱歌は、ドレミファソラシドで書かれているのに、なぜ日本固有のもののような懐かしさが感じられるのでしょうか。
それは西洋音楽を取り入れたばかりの頃の日本人が、ドレミファの音階をいかに用いようとも、今より遥かに濃厚だった日本人独自の音感覚の反映を抑えることが出来なかったからです。
演歌は今でも広く愛唱されています。
しかしそれを好むのは、中年以上が殆どです。
ロック音楽に熱狂する今の若者の多くは演歌を嫌うが、しかし今の20代があと20年たった時、演歌はすたれてしまうでしょうか。
私は決してそうはならないと思います。
それは日本人固有の情感が、ある年齢に達すると心の底から浮び上って来るからです。
前述した西洋の音楽の歴史と、日本の音楽の歴史を比較する時、最も大きな違いは、日本の音楽には、西洋の音楽のような意味での合唱というものがないこと、また多人数で多数の楽器をあやつる合奏の例が稀であることです。
日本の仏教音楽には「声明」という多人数で唱和するものがあるが、これは西洋の合唱のように厳格に規定された和声や対位法を持ちません。
しかしその旋律は、世俗の歌謡と互に影響し合って作られて行ったものと考えられます。
声明は15世紀室町時代以後は発展しなかったが、後世の音楽に大きな影響を与えていません。
謡曲、平曲から浄瑠璃への流れは講式というものから発しており、和讃は日本民謡の源泉となりました。
また修顕道の祭文が浪曲を生んだとされています。
現代の演歌もこういった流れとは無縁ではありません。
日本人の情感には、多かれ少なかれ仏教の無常観が根底に存在しています。
それが歌となり、旋律を生み出す時に、自ずと陰影を帯びることが多くなります。
その点も西洋音楽と著しく異るところです。
尺八、笛、琴、三味線といった楽器は、日本固有のものと思われがちだが、決してそうではありません。
それらの原型はすべてシルクロードを通じてもたらされたものです。
そして日本に来てから、日本人の情感の表出に合うように改造されたのです。
その中で特に日本的なものは尺八でしょう。
尺八の極意は「一音成仏」といます。
つまり仏教の無常感を音の中に籠めてしまうのです。
このような音楽は西洋ではまず考えられないです。
絶対の孤独と瞑想の音楽なのです。
三味線は近世に誕生した新しい楽器です。
その源は中国の三弦、琉球の三線だが、日本で改良されて庶民の重要な楽器となりました。
これはまた、歌舞伎の音楽には無くてはならないものであります。
三味線を、もとの楽器より遥かに繊細な、華やかな楽器に仕立てたのは、日本人の感覚であります。
そして江戸にあってはその美意識である「いき」を表現するために欠くことの出来ないものとなりました。
また、江戸期において日本人は初めて、多人数の合奏を作り出します。
長唄の伴奏に多くの三味線、笛、太鼓などを入れることは、歌舞伎の舞台を一層華やかなものにしました。
しかし三味線はひとり爪弾く楽器としても愛好されました。
四畳半の一室で酒盃を傾けながら低吟する小唄のひとふしは、最も日本的な情感の音楽です。
このようなものの一方で、日本人は太鼓を使う音楽を高度に発達させました。
これは農漁村の祭りを中心に各地に伝えられて来たが、そこには都会の音楽にはない逞しさがあり、若者が熱狂するロック音楽に共通する肉体的な陶酔感もあります。
現代の日本の若者たちがこれに関心を持ち始めたのも故なしとしません。
西洋音楽が輸入されて130年、今やモーツァルトもベートヴェンもワーグナーも、はたまたジャズやロックも、抵抗なく受け入れるようになった現代の日本人が、今もなお日本人固有の情感を秘めていることを、忘れてはならないのです。
音楽と人間の情感には歴史の長く、深い関係がある

いかがだったでしょうか。
音楽と人間の情感の関係について理解を深められたでしょうか。
他にも音楽療法の知識を深める記事がございますので、ぜひご覧くださいませ。
最後までご覧いただきありがとうございます。