人間の発達にとって音楽の影響は大きいです。 特に、幼児から始まる幼稚園・保育園ならびに学校における音楽教育では、子ども達の健全な情緒や精神の発達にとって、音楽は有用な教育の手段として成果を上げています。
また、それについて多くの研究が報告されています。
その一方では、小児医療の人間化 humanizationを求めて、心身障害の治療ばかりでなく、難病の子ども達の病棟生活のアメニティを高めるためにも音楽が利用されています。
しかしながら、小児の音楽療法となるとまだその定義づけは充分ではありません。
胎児・乳児と音楽の関係となると、研究は勿論のこと観察も充分ではありません。
当然のことであるが、子守歌が乳児と母親との心の絆の形成に良いとか、さらには児の精神発達に良い影響を与える可能性は考られています。 しかし、歌そのものの文学的研究はみられても、心理学的な研究あるいは小児科学的な研究は殆んどありません。
あるのは、音、音声あるいは音楽などに対する、胎児・新生児の反応Auditory Responsesの研究のみのようです。
こういった研究の成果は、胎児・新生児の特性を考えてみれば、音楽療法、さらにはその基盤となる音楽の医学・生物学的な意義を検討する有用な手段となり得るのです。
母子間にみられる音声|手動同調現象Entrainmentとは?

Entrainmentとは?
母親がわが子に語りかけていると、児の手の動きが母親の音声に同調する現象が見られます。
すなわち、母親の声のリズムが児の手の動きのリズムを引き込んで同調させるのです。
この引き込み現象は、生物学的な非線型のリズムの同調 Synchronizationとして、Entrainment(引き込み現象)とよびます。
この現象は、1970年頃から、アメリカの乳児行動研究者の間で問題になっていたが、筆者が東大在職中に、東大工学部石井威望教授と愛育会研究所の高橋悦二郎部長とのグループで、コンピュータの画像処理の方法で証明しました。
表情や行動によるコミュニケーション
人間は話し言葉、表情やある種の行動、さらに文字などでコミュニケーションしているが、表情や行動によるコミュニケーションの手段は最も基本的であり、ある意味で原始的です。 すなわち遺伝子機構で決まる手段といえます。 これに反して、話し言葉・文字、さらにゼスチャーなどの行動は文化、すなわち生活や教育によって作られるものです。
人間におけるリズムの重要性
文化の影響をうけていない新生児が母親の音声に同調させて手を動かすという現象はいろいろなことを意味します。 コミュニケーションの手段の中で、手を動かすという行動は基本的なもの生得的なものといえるだけでなく、リズムがコミュニケーションでも重要な役を果していることを示している事実です。
人間にみられる生命現象をリズムとしてみると、生から死、世代から世代のくり返しというライフサイクル、月経周期のような生殖のリズム、ホルモンや血糖の日内変動のようなサーカデアンリズム、呼吸運動のリズム、心拍動のリズムと、人間は多様なリズムで律しられて生活しています。
こう考えると、母子間の音声と体動の同調現象は、音楽療法にひとつの洞察を与えます。すなわち、リズムが本質的なものではないかということです。
このエントレイメント現象は、母子間だけでなく、成人と乳児の間でもみられます。
しかしいづれも語りかける声のリズムが重要なようです。
音は人間にとって必要不可欠

生命誕生の初めから、胎児は出生まで心拍動による血流のリズムある音を聞いています。
そして、生れてからは、母親の語りかけの声、子どもをとりまく人々の声、さらに音楽、あるいは雑音などいろいろな音の多い生活環境の中で育っています。
そして夫々の音はリズムをもっています。 したがって、音は栄養と同じように発育にとって必要なものなのかも知れません。
音楽は成人の心をゆさぶり、なごませる、すなわち強い情緒反応をおこす。 歌と一緒になると更に音楽の力はより強くなるようです。 大脳生理学によるならば、音楽の感覚は右大脳側頭葉が関係しています。 右の皮質につながる左の耳はメロディーを感ずる力が強いといいます。 また、大脳の側頭葉は報酬システム(ある目的をとげるため、あるいは知的ならびに感覚的な意義を探しもとめるため、ある行動を繰り返させるニューロンのネットワーク)に関係します。
こういった神経生物学的な知見を勘案しながら、胎児・新生児の Auditory Responses を解析するならば、音楽療法の基盤を明らかにすることが出来るのではないでしょうか。