音楽療法の歴史について、歴史の中に現れるいくつかの音楽療法の重要な概念を、時代を追いながら記述してみたいと思います。
その理由は、現在私達が用いている様々な音楽療法の技法が、実は歴史の中で1つ1つ積み上げられてきた過去からの遺産であることを知ることが、音楽療法理解にとても有意義だからです。
今回は、歴史の中の名音楽療法士のダビデとファリネリの共通点について解説します。
歴史の中の名音楽療法士ダビデとファリネリの共通点とは?│歴史から音楽療法を理解する

ダビデとファリネリ、この2人が音楽療法士として王の前に引き出された状況は、1人は、狂乱の王サウルの前であり、他の1人は、床に臥せって辛吟する痛ましいフェリペ5世の隣室です。
心の病に苦しむそれぞれの王を前にして、ダビデもファリネリも各王の苦しみを心から痛ましく思い、是非とも音楽で助けたいと願います。
2人は音楽の力を信じ、心からの畏敬の念と、心底からの同情を音楽に表したに相違ありません。
サウルはダビデの疑いを知らない真摯な態度に接し、またフェリペ5世は隣室から聞こえる世にも稀な訴える力に溢れた歌声を耳にして、その類稀な音楽の力に引き込まれていったと思われます。
さてこの2人の話はともにとても劇的ですが、音楽療法士の名を冠するにふさわしい共通点を持っています。
それについて少し考察を加えてみましょう。
名音楽療法士ダビデとファリネリの共通点①:音楽
まずは音楽の面からです。
ダビデもファリネリも名の知られた音楽家であることは共通で、ダビデの方は自分の竪琴を巧みに奏で、ファリネリは自分の声を見事に操ることが出来ました。
「音楽療法では音楽を治療のための道具として用いる」という現代の音楽療法の定義がありましたが、道具として用いるためには楽器や声を自由に操作できることが必須です。
なぜならば、そうでなければ音楽で心を相手に伝えることが出来ないからです。
この意味からは、ダビデもファリネリも、充分自分の音楽で自分の心を伝えることが出来た人です。
音楽療法士ダビデとファリネリの共通点②:演奏態度
次に演奏態度を見てみましょう。
ダビデはまだあどけない少年でした。
その演奏にはてらいも媚びもなく、王を敬う偽らない態度がにじみ出ていました。
他方ファリネリは、名声の絶頂にいますが、音楽への探求心から名人芸的演奏を捨て、前に述べましたように、単純さと情熱をもっぱらとした、聴く人の心をとらえる音楽の演奏をしていました。
2人の一途な心が相手を揺り動かし、見事な音楽療法が繰り広げられました。
それは名演奏と言ってよいのでしょう。
あらゆる技巧が技巧自身のためではなく、表現を高めるために用いられ、相手の心がそれによって真に訴えかけられるような演奏こそ、名演奏と呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。
そういう名演奏は、クラシック音楽界よりもむしろ市井の音楽の中に多いような気がします。
それは音楽が今に生きているからなのでしょう。
演奏する人の心が伝わった音楽が音楽療法になる

いかがだったでしょうか。
2人の名音楽療法士の共通点から、音楽は、そこに演奏する人の心が伝わったとき、ジャンルを問わず、確実に音楽療法になるという実感が得られるものだと思われます。
ダビデ、ファリネリについては、別の記事にて詳しく書いていますので、確認してみてください。
最後までご覧いただきありがとうございます。